コンサルタント脳と研究者脳

会社に行かなくなってから13ヶ月が経過した.そして復職まで3ヶ月を切った.そして何とかリサーチ・プロポーザルのめども立ってきた.

振り返って,何が一番大変だったかといえば,コンサルタント的な頭の使い方と学者的な頭の使い方の切り替えだった.昨年の今頃はお手軽といわれても仕方のない論文を書いたり,必修単位をとったり,学校のイベントの手伝いをさせられていた.全体からすればつまらない話だ.2月ごろからフィールドワークを実施して,7月ごろまで25社程度40回近いインタビューを行った.大雑把だが,テープ起こしの量はA4,1800字が250枚という量になった.これは面白かった.私は元来ジャーナリスト志望だったのだが,やはり現場が好きなのだろう.ここまでは全部コンサルタント的な脳みその使い方だった.

リサーチ・クエスチョンを探すためにリサーチをするわけだが,この過程では残念ながら,それが浮かび上がってこなかった.修士論文の時には,それができたし,以前本を書いたときもそれができていたので,このときはかなり落ち込んだりもした.

ではそのコンサルタント的な脳の使い方と研究者の脳の使い方は何が違うのかといえば,抽象度のレベルである.事実をどれだけ概念で語るのかという風に言ってもよいだろう.フィールドワークから得られた事実をどのような概念で語り,そしてまたそれを実証する具体的な調査設計に落とすということを本格的にやりはじめたのが,7月ごろからであったが,本当に苦労した.これは本質的には孤独な作業ではあるが,幸いなことに私には深く付き合えているフィールドがあるし,いわゆるイケてる経営者が頼めば会ってくれるので,そこからのインスピレーションも大きい.若い研究者の友人もいる.彼らには本当に感謝している.

私は2000年に本を出しているのだが,今の脳みその使い方の感覚はその本の構想時や執筆時のものに近い.そのときにすでに私はコンサルタントであったが,なぜそのようなことができていたのかというと,99年の前半までトップマネジメントのコンサルタントであったからだと思う.そして加えるなら,その2年前までは修士課程ですばらしい学友にめぐまれて理論実証的な研究をしていたからだろう.

こう書くと,理論上,トップマネジメントコンサルタント脳と研究者脳には,少なくとも違いがないように思える.しかしその脳の使い方には少なくともプラクティカルな面で大きな違いがある.コンサルタントは競合との関係やタイミングといった外部環境を重視しなくてはならない.むろんゲーム理論的な指向から戦略オプションを整理することはある.が,外部環境を判断するのはある種の直感だ.理詰めで意思決定をしていたら間に合わない.全社レベルでの意思決定には理屈の度合いを上げることが必要だが,私が今の会社でやっていたのはどちらかというと事業レベルのスピード重視の意思決定支援だった.なので,知らず知らずに具体的なフロー情報と戯れることに慣れてしまったのだろう.

世には,このようなフロー情報と戯れながら,次から次へとアジテーションを繰り返すコンサルタントが多い.これはトップマネジメントだろうが,ミドルマネジメントだろうが,ある種の宿命で,私はそれがいやなのでキャリアチェンジを考えた.もちろん研究者(というか学者)の中にも,この手の人は多い.最近知ったことばだが「シンポジスト」という蔑称があるらしい.それはこの国のGDPを大きくするためには必要な役回りかもしれないが,私はそうもなりたくない.両方の脳の使い方ができる人がコンサルタントとしてはすばらしいが,研究者で両方できてしまうとどうも汚れてしまうような気がするのだ.そんなことを先日,敬愛するexトップマネジメントコンサルタント,現翻訳家のT先輩と話した.彼と私は中島義道

人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ

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で意気投合する間柄だから,世の中からすれば変わり者であることは間違いないが.

実は研究者(科学者)と学者というのもずいぶんと違う.簡単に言えば,後者は教育の責を負うわけだが,これについてはまた改めて書こう.