つながりの社会性、賢い消費者

ised@glocom : 情報社会の倫理と設計についての学際的研究の第3回設計研に出席してきた。疲れから、うとうとしつつ聞いていたせいかわからないが、議論について自分はわかりそうで実はまるで消化できていないという印象が残った。

さて、そんな中で面白いと感じたのは

  • 5年とか10年前には、特に若い層がこんなにケータイでメールをしたり、電車にのれば1/3ぐらいの人がケータイの画面を見ていたり、mixiにハマっていたりという状況を想像できなかった。インターネットはつながりをつけるためのメディアだし、ネットワークの外部姓が働くからこの現象は当たり前だよねとして受け容れるのはどうかな?これは一過性の現象ととらえて、本来、もっと望ましい使い方があるべきという前提で社会を構想するべきではないの(経路依存性信仰による思考停止への警鐘)

とか

  • 産消(産業と消費者)逆転とかいうけど、消費者ってネットを使ってそんなに賢くなっているのですか?

という指摘。

mixiってのはせいぜい50万人だから、そんなに現在の状況を代表する現象なの?って素朴な疑問はあるのだが、まあケータイメールとmixiを同列に語るとしよう。

たしかに20代の人って、コミュニケーション行為そのものがコミュニケーションだと思っている節の人が多いように思う。これに対して30代である私は、電話という同期コミュニケーションはすげー嫌いで、自分のペースでできる非同期なコミュニケーションの方が好き。だからメールができてすげー重宝している。60年代生まれの我々の世代にはメールができてから電話でのコミュニケーションが格段に減ったという一群が自分を含めて一定層いるように思う(感覚的に男に多い)。でも、本当に世代によるコミュニケーション観の違いってあるのか?北田さんみたいな解釈学的な論考は個人的には面白いけれど、本当にそうなのか?って疑問は常に残る。

あと、賢い消費者ってことについてちょっと書くと、某クチコミサイトへのアンケートで、なぜ投稿するのかって質問に対して、「商品が良かったから」という方が「商品が悪かったから」という理由より強い。また「他の人の投稿内容に共感するから」という方が「他の人の投稿内容に違和感があるから」という理由よりも強い(ちなみにアンケートは2003年9月のもので、今のそのサイトの規模からするとユーザー数は半分以下の時代だ)。

すげー雑な議論だが、ネット上の公共圏て感じじゃほとんどなくて、どちらかというと沈黙の螺旋という感じで、良い商品についてや、ある一つの考え方についてのカスケードが起こる仕組みになりやすくなっている。動物的な感覚の再生産とも言えるのかもしれない。

だからサイト全体での意見だけではなくて、あるサブのコミュニティでの意見というようなものは何かということをアルゴリズムとして実装してサイト上に示さないといけないと常々考えて提案もしている。しかし、そういう中立的なメディアを指向することがサイト運営事業者のビジネス的成功と整合するのかはよくわからない。少なくとも中立的なメディアとしてもビジネス的成功があるようなビジネスモデルが必要とは思っているが、まだどうすれば良いかなんてことはほとんどわかっていない。

なんだが、いつも同じようなことを書いていてまとまりもないですが、時間を食うのでこんなところで。