「有利と安定」「露出狂」

先週が仕事で大変だったことはすでに書いたとおりだ。新規事業の創出という仕事にあたり、社会にどのような変化が起きているかというマクロな説明から、そのような大きな流れの中で社会を支えるサブシステムにどのようなものが必要かを考え、それをサービスアイデアに落とすという仕事だった。頼むほうもそれを10日でやれというのだから、かなりいい加減な連中だということはわかるだろう。いついつまでに発注主が上司に説明せねばならぬからという突貫工事の作業だったわけだ。

で、その中で私より11歳年上の同僚と議論する中で、「そんなものかな?」とジェネレーションギャップ、あるいは価値観の違いを感じてしまった場面として2つが印象に残っている。

ひとつは子供を育てる親は「有利と安定」を望むものだという彼の発言。少し考えてみたが、私なら「独自性と学習能力と責任」を望むのかな、という結論になった。

有利というのは相対的な発想だ。「世界にひとつだけの花」ではないが、人はあまり気にせずに自分なりの独自性を発揮してほしい。そのために必要なのが学習能力だ。私はWebに触れてから「世の中には本当にこの分野に詳しい人というのがいるものだ」ということを体感した。それ以来、自分の小ささや無知を身をもって知り、謙虚に学ぶようになった。そして若い人の意見でも対等な話し相手として聞くようになった。そのような柔軟な学習能力を備えてほしい。あとは責任だ。もちろん人生には運もつきもの。環境に影響されたりする部分は大きい。しかしその環境に働きかけることで変えることができるのも本人だ。その時々の置かれている立場は基本的に自らが選択し作り出したものであるということを受け止める人間になって欲しい。むろん、この3つとて固定的・普遍的なものではないけれど。

もうひとつは「Blogを書いているやつらは理解できない。露出狂だ」というもの。「私も書いているのですが」といったら「そうなの?」とやや驚きつつ、自分の発言をヤバかったと思ったらしい。「露出狂」。確かにそれともいえる。プライバシーの意識が低い人たちというニュアンスなのだろう。

それを機に、自分がこのような週に300人から1200人に見られてしまう場に、プライバシーに触れるようなことであっても書いてしまうということはなぜなのかを再度考えてみた。その結果、私はこの日記を自分の子供のために書いているという結論に達した。はてな近藤社長がいうように、確かに自分が生きた証としてこれを書いている部分がある。しかし完全な私記ではない。読者をあらかじめ想定しているわけだ。これは前にも書いたとおりだ。そしてその第一の読者は間違いなく、自分の子供を想定している。そしてその周りの読者として若い人一般がいるという感じだ。そうだったのだ。謎がひとつ氷解した。