RSSの可能性

久々にトラックバック。橋本さんのエントリーhttp://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003056.htmlに対して。

RSSというのは私も面白いと思っているのだが、橋本さんのこのスライドの6,7枚目は「コンセプトベースでは確かにそうだが、そこまでの道筋はまだまだ長いよ」という印象を持った。

私自身もどちらかというとそうなのだが、マーケティングでもコミュニケーションやというのはやっぱりコンセプトで話をしたがるし、コンセプトレベルでけっこう満足してしまう(橋本さんがそういう人かはおいておいて)。これが同じマーケティングでも、流通戦略とかマーチャンダイジングをやっている人だと、コンセプトだけではなく、もっとドロドロしたところから考える。

かえってわかりにくくなってしまうのかも知れないけれど、情報の流通を中心に考える人とモノの流通を中心に考える人の差といってもよい。

いくらメタデータで「より相応しい商品との出会い」といってもその商品Aが店に行ってもなかったら、店にある次善の商品Bを人は買う。あるいは買わないか。そして「商品Aを欲している人がいたが、商品Bを結果的に買っていった」というような情報は原則的には記録されない。「商品Bが売れた」という情報だけが記録される。したがって、品揃えには反映されない。つまり商品Aが扱われることはほぼ望めない。メタデータで「より相応しい商品」に出会う程度だから商品Aの販売量というのはたいしたものではないはず。それが、最大公約的な売上も大きい商品Bで代替されるなら、商品Bさえそろえておけばよいでないかということになる。

何が言いたいかというと、情報のマッチングが進んでも、モノの購買という意味でのマッチングとは次元が違うということ。もちろん商品Aが楽天で買えたりする可能性が高いのだろうが、楽天の流通総額が3兆円とか5兆円ぐらいにならないと。やっぱり普通はまだまだお店で買うでしょ。それが上に書いた「そこまでの道筋はまだまだ長いよ」の中身の一部。

あと、モノの延長で考えたのは、人のメタデータというのもきちんとした形で欲しいなということ。人の格付けってことにもなるのだが。

  1. 超一流 さすがにアウトプットはマジすげーという人。そしてそれゆえ良く知られている人
  2. 一流  なかなかよいアウトプットを出すという人。そして一部では良く知られている人
  3. 一流半 アウトプットの質は一流の人と一緒だが、なんらかの要因でさほど知られていない人
  4. 二流  アウトプットの質が一流や一流半に劣る人 組織として大きくなる傾向も持つ

と大雑把に分類する。仕事が自由に選べる超一流は別とすると、感覚的にはまだまだ、一流と二流に仕事が集中していると思う。モノの生産とちがって知恵の生産には大規模な組織が必要とされる度合いは少ないはずなのに。一流半にもっとうまい具合に知的生産の仕事をマッチングさせないと良くないと感じている。小さい組織だと繁閑の差が吸収しづらく、概して大きな組織を持つ二流に仕事は流れがち。また早い時期に個人で仕事をし始めた一流の人の組織がでかくなって、結果的に二流になっているということもけっこうみうけられる。

すると、85点とか90点の仕事が10と70点の仕事が10あるところが、70点の仕事が5と55点ぐらいの仕事が20できあがっているということになっているような気がする。そもそも意味がほとんどないから断られるべき仕事というのも二流の人たちが無理してやっているからさらに質が下がる。

結局ここら辺の問題はP I C S Y - Propagational Investment Currency SYstem - Project
へとたどり着く。