ポルトガル決勝進出

ユーロでポルトガルが決勝進出を果たした。これまで不運と勝負弱さが指摘されてきたが、今回はギリシアに負けた緒戦からはい上がって勝ち上がってきた。チェコも好きなチームだが、ポルトガルの黄金世代に最後に花を持たせてやりたい気持ちがある。地元だし。

僕はポルトガルに1日だけ行ったことがある。何とも貴重な経験だった。

それは1990年のヨーロッパチャンピオンズカップ(リーグの前進)の準決勝をリスボンに見に行った時だ。対戦はマルセイユベンフィカ。驚いたのは80万人の都市に12万人収容の競技場があったいうこと。普通のスタヂアムは2層なのだが、ここは3層だった。スタヂアムが揺れるとはまさにこのこと。身震いがした。サッカーで身震いしたのは、このときと、2002年のデジョンで韓国がアンジョンファンのヘッドでイタリアにGゴールで勝ったときだけだ。岡野がジョホールバルでGゴールを決めたときはその場にいなかったので、そういう体験はしてない。

この試合は結局ポルトが勝ったが、なぜ貴重な体験だったかというと、私がフランスへ出稼ぎに来ていたポルトガル人がチャーターしたトルコの航空会社の飛行機で、リスボンまで往復したからだ。このチャーター機ツアーの存在は当時パリ・サンジェルマンの年間チケットを買って2週に1度試合を見に行っていたときに、チラシで知った。

何しろ安かったので利用したら、まわりは出稼ぎポルトガル人だらけ。対戦相手のマルセイユの当時のオーナーはタピという成金で、スター選手を集めまくる奴だったこともあり、彼らは道中盛り上がっていた。タピの人形を機内に持ち込み、私も人形をはさみでそれを切ることを強要された。が、話してみると出稼ぎは本当に大変。そんなポストガルも今ではEUの一部なので隔世の感がある。

このチャーター機ツアーを聞きつけて、フランスの有力スポーツ紙のレキップの記者がこの飛行機には乗っていて、そこにフランスで一番のビジネススクールに留学している私がいたものだから(サッカーはフランスでは下層階級の見るスポーツ)、取材を受け記事になったりもした。

で、本当に試合を見るだけの旅行だったのだが、試合が終わった深夜に大衆歌謡のファドを聞きながら、食った薄く切った豚肉を焼いた料理が印象に残っている。どういうわけか醤油味に非常に近かったのだ。

という思い出もあり、決勝ではポルトガルの健闘を祈る。