「サロンに改革者はいない」に触発されたネット世代論

日経新聞の吉野源太郎論説委員が書いた評論(中外時評)が目にとまった。「望まれる新興企業の反骨精神」というサブタイトルがあり、メインタイトルが上記の通り。

ヒアリングはいわば既得権益を共有する読売主催仲良しサロンの入会試験と思えばわかりやすい。有名人の推薦状を多数持参した楽天は受験なれしていたのだろう。

だが、それにしてもである。いくら有名になりたいからとはいえ、時代の先端を行く若手経営者がこの閉鎖集団に次々とすり寄る光景はかなり異様だ。

(中略)

堀江社長が西武の代表にむかって「あなたにだけは品位を問われたくない」と反論していたら、たとえ球団経営者になれなくとも一気に人気者になっただろうに、と思う。

吉野はこの他に、孫正義ソフトバンク)、中内功ダイエー)そしてNTTの総裁に転じた真藤亘を例に出し「成功を収めた瞬間に転落が始まっていたのだ」し、「インナーサロンからは改革者は現れない。今に満足しないアウトサイダーにこそ次代が見える」と論じている。吉野の評論の全体のトーンには私は賛成。

しかし、三木谷と堀江の両社長に対する分析が私とは異なる。

三木谷については、出自や経歴から判断して、たしかに「すり寄って」いるように見える。ただし、本気で赤字を5年も続けて経営していこうとは思っていない、というのが私の分析だ。経営がうまく行かなければ、当然短期売却はあるだろう。つまり経済合理的な判断がこの意思決定のかなりを占めているというのが私の分析だ。彼が仙台を拠点にして球団経営に乗り出したのは、インターネットショッピングにしてもインターネットトレーディングにしても大都市圏以外の地域での知名度も利用率は低いからだと考える。それと仮に三木谷が創業時点の「地方のがんばっている企業(商店・生産者)に対して新しい販路を作る」というビジョンを忘れていないとすれば、東北経済圏でのお金の流通ということを想定しているはずだ。このビジョンと戦略を実現するための一つの手法が球団経営なのだと思う。

堀江については、まずあまり「すり寄って」いるようには見えない。そういう意味では吉野の分析は「甘い」と思う。私の知るところによれば、彼は球団買収をわずか数時間で決断した。おそらく三木谷同様、社名やインターネットトレーディングの知名度や利用率向上は考えただろうが、きちんと数字をはじく時間はなかった。それに仮に球団を持てたとしても経団連のメンバーにはなれないだろう。では、彼がどうして球団買収に名乗りをあげたかといえば、それは前述のわずかばかりの経済合理的判断以外の、意識的か無意識的かはわからないが、そのプロセスそのものを楽しもうという彼の強い指向性・性格だと私は考えている。そしてこれこそが、ネット世代の一部に見られる感覚であるというのが私の主張である。

三木谷は38才。堀江は31才。Mosaicがネットで公開された1993年に二人は27才と20才。日本興業銀行の行員と学生と二人のおかれていた立場はずいぶんと異なる。

つまり私の中で、概ねネット世代かそうでないかは1993〜1994年時点で20〜24才であったかそれ以上であったかということで判断される。つまり分水嶺は1969〜1974年生まれ、今年30〜35才ということになる。

ちなみに私は36才。1993年には大組織で働いていたが、1995年から2年間は学生であった。期せずして「sameoさんは、ギリギリネット世代ですよ」と各所で言われるのだが、この分析においてもそういう結果となったのだった。

追伸:Webブラウザが出る前からネットに馴染んでいる、40以上の方からはこの手の話には批判が多いのだが、まあ一般的なネット「ユーザー」ということで。