はじめて超一流の存在を体感したとき

昔の話だが、最近テキストとして書いたので、日記に残しておこう。

背景はこうだ。私が高校時代にやっていたマイナースポーツであるフィールドホッケー競技で、当時はなかった同校の創部8年目の女子部が全国大会に初出場を決めたというMLでの報告を受けて、過去の全国大会出場話で盛り上がったので、私が投稿したものだ。

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ともあれ女子部のみなさんおめでとうございます。

3点書きます。けっこう長いです。

1.86年インターハイ。SHの報告の通りです。初戦は1-0で勝ちましたが、2回戦は0-8で敗れました。それまで関東大会の皆野戦以外は無失点で来ていましたが、8点とられました。うち6点がPSおよびPS絡みでした。

PSのヒッターが下記の山中なのかな?個人的なことになりますが、前半にPSで4点取られ、後半から自分は守備位置を10㎝ほど前に変えました。なぜならば、ヒットの速さが同期のSAIほどもなく、前半の得点はすべてコーナーギリギリだったからです。

これにより後半の前半はPSをはじいてしのぎましたが、後半途中から相手がヒットのスピードを上げ、PSでまた点を取られました。今度は自分の反射神経がついていけなくての失点でした。僕はこれによって、違う次元のホッケーを体感し、大学ではホッケーを続けませんでした。噂ではこの山中というのは全日本チームのヒッターを4年ほど前までやっていたと聞いています。

> 2回目のインターハイは1986年です。山口の徳山で行われました。
> SHが3年のときです。関東大会では千葉の大原に勝ちました。
> インターハイ1回戦では秋田の船川水産と当たりました。
> GKのSASの攻守もあり、HCのN(現在バンコク在勤)が取った虎の子の1点を守りきり勝ちました。
> 2回戦では後に法政大にホッケー推薦で入学した山中らを擁する沼宮内にボロ負けしました。

2.87年インターハイ@北海道 江別。われわれが3年の時の前年のインターハイ沼宮内に0-8で敗れ、彼らは全国3位だったように思います。が、この87年のチームは全国3位になった(と記憶している)樋脇に0-3と善戦しました。この32期が史上最強のチームだと僕は思っています。

このチームは早い段階で負けてしまった30期が引退した後に、24期のSさんが構想したチームの集大成だと思っています。守備を基本に置き、センターラインをしっかり作るという方針でした。F、N、Sというセンターラインを軸に、33期のO(現コーチ)がセンターフォワードに入り、彼の天性の運動神経により得点力も持っていました。また前年度からレギュラーだったサイドもK、SU、Mと充実していました。あと、KU、KAという試合で特異な能力を発揮するメンバーもいました。

ルールが今は相当変わったのかも知れませんが、少なくとも高校レベルでは守備基本、センターライン強化(後ろから見ての指示を出せる人間を配置する)というのは今でも基本のように思います。

3.女子部の起源
彼女よりも前にもこういう人がいたのかも知れませんが、女子部の起源は31期のSNさんにあると思います。彼女が1人で、われわれ31期と走っていた時代がありました。今回の慶事ですが、伝えるべきは彼女なのかも知れません。

以上です。ではでは。